「メロヴィング朝フランク王国」の版間の差分
提供: ゾディアックwiki
								
												
				| 9行目: | 9行目: | ||
| colspan="2" |クロヴィス1世  | | colspan="2" |クロヴィス1世  | ||
||481  | ||481  | ||
| − | ||[[トゥルネー]]、[[カンブレー]]を中心とするライン川低地西部を支配する小国の王であった。<br>486年、ガリア北部を支配していた西ローマ系軍閥のアフラニウス・シュアグリウスをソワソンの戦いで破る。<br>496-497年、トルビアックの戦いでアラマンニ人に勝利<br>  | + | ||[[トゥルネー]]、[[カンブレー]]を中心とするライン川低地西部を支配する小国の王であった。<br>486年、ガリア北部を支配していた西ローマ系軍閥のアフラニウス・シュアグリウスをソワソンの戦いで破る。<br>496-497年、トルビアックの戦いでアラマンニ人に勝利<br>500年、[[ディジョン]]でブルグンド王国と戦う。<br>507年、ヴイエの戦いで西ゴート王アラリック2世を破る。<br>その勢いのまま西ゴート王国の首都トゥールーズまで進軍し、アキテーヌの大部分を獲得した  | 
|-  | |-  | ||
| rowspan="4"|クロヴィス1世死後の分割相続  | | rowspan="4"|クロヴィス1世死後の分割相続  | ||
2019年8月16日 (金) 15:21時点における版
| 王 | 在位 | ||
| キルデリク1世 | - | ||
| クロヴィス1世 | 481 | トゥルネー、カンブレーを中心とするライン川低地西部を支配する小国の王であった。 486年、ガリア北部を支配していた西ローマ系軍閥のアフラニウス・シュアグリウスをソワソンの戦いで破る。 496-497年、トルビアックの戦いでアラマンニ人に勝利 500年、ディジョンでブルグンド王国と戦う。 507年、ヴイエの戦いで西ゴート王アラリック2世を破る。 その勢いのまま西ゴート王国の首都トゥールーズまで進軍し、アキテーヌの大部分を獲得した  | |
| クロヴィス1世死後の分割相続 | ランスの王国 | ||
| オルレアンの王国 | |||
| パリの王国 | |||
| ソワソンの王国 | |||
| クロタール1世 | 558-561 | ||
| クロタール1世死後の分割相続 | アウストラシア | ||
| オルレアンの王国 | |||
| パリの王国 | |||
| クロタール2世 | |||